アプリ開発者の生き残る道:劣化版アプリを大量生産する競争から抜けるには、コンテンツとネットワーク効果の両方を所有するしかない。Netflixこそが模範である。

この記事はアプリ開発会社の人たちから顰蹙を買ってしまう内容になると思う。しかし誰かが批判を覚悟で、この隠れた事実を言わないといけない。

結論から言うと、ほとんどのアプリ開発は失敗する。日本を含めて、世界がアプリ開発の過酷な競争に巻きこまれて疲れきっている。もし未来があると信じているなら、その人は妄想に浸っているだけか、正しい道をすでに歩んでいる人のどっちかになる。

アプリの開発は劣化版アプリの大量生産に堕落している

素晴らしいアプリはたくさんある。本当に優秀な開発者というのはたくさんいて、この少数の人たちは面白い製品をたくさん開発している。しかし残念なことに優秀な開発者は優秀な製品を作るとは限らないし、成功に導くプロモーションもできるとは限らない。アプリ開発会社はやることがたくさんあり、それらをすべてクリアしていかないといけない。

  • 明確なビジョンのもとに作られている
  • 将来独占を築けるような性質を持っている
  • 強力な売りこみ手段が確保されている
  • 持続的に利益が確保できる見通しが立っている
  • 優秀な開発者と営業マンがいつもいる

たぶんほとんどの会社はこれらのほとんどを満たさないまま発車している。だから失敗するべくして失敗する。アプリ開発会社は受託開発に切り替えた瞬間、世界を変えるという壮大な看板を外して、競争淘汰で消えるだけの凡庸な集団に堕落してしまう。

見切り発車すると、他のアプリの劣化版を作るだけの会社になる。開発しても世界が変わらないだけでなく、その会社の資金を食いつぶすだけ。劣化版アプリの大量生産は最初から誰の得にもならない運命を抱えている。

地獄にいる人は、最初から他人を利用しようと考えるから地獄にいる

ゲームでたくさん課金させるにしても、ソーシャルメディアのネットワーク効果を狙うにしても、多くの会社はユーザーの囲いこみというもっともらしい言葉でその強欲さをカモフラージュしている。やりたいことは一つ。ユーザーの時間を自分たちの金に換えたい。

ソーシャルメディアのようなアプリが大量に生産されている。私自身、今作っているものはソーシャルメディアに当たるかもしれない。だからこの記事は自戒の意味もかねて書いていることになる。こうしたアプリはユーザーにコンテンツを作ってもらうことで成立する。つまり最初からユーザーに頼っているのだ。

しかし現実はそう甘くない。ほとんどのユーザーはそのアプリを作らない。渋谷や五反田にある無数の会社、シリコンバレーやイスラエルにある無数の会社の失敗談を見ると、ネットワーク効果を利用するアプリの大半はユーザー集めに失敗して事業をたたむ。

開発に失敗した会社は倒産するか、さらに借金するかのどちらかだ。私はどちらも嫌だから、正攻法でアプリを開発しないことにした。ネットワーク効果を利用して他人にコンテンツを作ってもらうという発想を止めて、自分からコンテンツを作るという結論になった。

コンテンツを所有すると、それ自体がメディアとシステムになる

この記事の下に私が持っているメディアのリストがある。その一部には広告が貼ってあり、加えて現実世界で顧客を集めるための手段になっている。このメディアは目的であり、手段である。目的と手段をごっちゃにするなという格言はシステム作りにおいて当てはまらない。むしろ目的と手段が一致するシステムは理想的である。

コンテンツを作るのはとても大変で、地味でつまらない作業だ。コンテンツの生産が創造的なのはほんの一瞬で、創造的な気持ちで取り組んでいるかぎり、そのメディアは本当の意味でシステムにはならない。反復的作業の果てにシステムが作られる。

メディアを所有してわかったことが一つある。それはネットワーク効果やユーザー課金を利用するアプリは生か死かのどちらかしかないが、メディアはその中間地点にいつもいるということだ。メディアしか運営していない人はメディアは儲からないというが、おそらく開発しかやっていない人の青息吐息と異なる。開発でうまくいかないというのは、死そのものだからだ。

メディアと開発の両方を組んでいくしか道がない

私はメディアにも死が待っていると思うし、アプリにも死が待っていると思う。

メディアはメディアでニューヨーク・タイムズの奮闘は数年前からすでに有名である。

アプリはアプリで大変だ。年を経るごとにユーザーはゲームに飽きっぽくなり、バグがあったらすぐにアンインストールするようだ。辛辣なコメントも避けられないから、いつも全力でサポートしないといけない。

この二種類のシステムは不思議なことに両立しないと考えられている。実際、コンテンツを配信するメディアがネットワーク効果のあるアプリを開発することはまれだ。自分たちのコンテンツを配信するアプリは作るが、ソーシャルの要素を持つアプリはどういうわけか作らない。

同じようにアプリ開発会社も自分たちでコンテンツを作ろうとしない。自分たちはプラットフォーム側に立ちたいという願望があるからだろう。

ここでNetflixという模範が出てくる。私はNetflixが他のプラットフォームと本質的にまったく違うサービスだと気づいたとき、自分が何をするべきか理解した。Netflixは他人が作ったコンテンツを利用している意味でいわゆるプラットフォーマーだ。しかしNetflixはだいぶ前から、プラットフォーマーと悪口を言われる前から独自コンテンツを作っていた。これがいかに重大なことか、いかに今後のプラットフォーマーの指針になるか、口にする人がほとんどいないのはなぜだろう?

Netflixはプラットフォーマーとしてやっていくにはひどい環境にある。競争相手はGoogleのYouTube、AmazonのTwitch、Hulu、DAZN、その他無数の動画配信アプリである。ドラマの競争相手はドラマだけでない。俳優の競争相手はYouTuberであり、ゲーム実況者であり、スポーツ選手である。だからNetflixはプラットフォーマーが通常やらないことをやった。コンテンツの生産である。

コンテンツ制作は常識的に儲からないとされている。実際、Netflixもコンテンツ制作のせいで儲かっていない。しかし世界規模でユーザー数が増えている。Netflixがコンテンツ戦略をとっている間、NetflixとHuluには決定的な差がついてしまった。Huluはコンテンツ制作がプラットフォーマーを差別化させる重要な手段であると見抜いていなかった。

プラットフォーマー兼コンテンツ制作者になる

アプリ開発の地獄に話を戻す。アプリ開発は大半が失敗する。大がかりで開発したものが失敗すれば会社の即死は免れない。だとするとアプリ開発はずいぶんと分が悪いゲームということになる。

私が大学を出た頃はすでにアプリの飽和が始まって、アプリ開発が茨の道であることはほぼ明らかだった。それから数年が経った今、その傾向はまったく変わっていない。それなのに多くの会社が大金を競争という沼に捨てている。これには理由がある。プラットフォーマーは莫大な金を稼ぐという幻想が先行しているからだ。

一方、幻滅が先行している世界がある。メディアである。新聞、雑誌、出版はすでに終わった業界とされており、今メディアに足をつっこんでも将来は真っ暗というのが常識だ。これは間違いない事実だろうし、だからこそ幻滅が先行してアプリ開発会社のような利益追求主義者たちは決してつっこもうとしない。

ここに隠れた事実がある。メディアとアプリ、プラットフォーマーとコンテンツ制作者は水と油の関係であり、互いを補完している会社は実際ほとんど存在しない。これは地味ながらも恐ろしい真実で、ここを突っついた者がおそらく実際にプラットフォームを作る。アプリ開発者の未来はこういうところにある。

© 2015-2018 坂本真一郎

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